| 1896年 |
ある穀物用倉庫業の経営者が火災の被害にあった際、保険会社に申請する保障額の決定に苦労していることを知ったウィリアム・M・ヤングとジョン・ムーンは、評価サービスの必要性を強く認識しました。
ヤングの事業経験と、ムーンの持つ情熱、ビジョンが、アメリカン・アプレーザルと評価サービスというビジネスの誕生に繋がりました。
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| 1900年代 |
1900年代初頭にはアメリカン・アプレーザルは業界で最大手となり、米国、カナダ各地で200人を超える規模に成長しました。当社のリサーチライブラリと専門知識は価値ある資産となって、評価の対象は専門的な製造プロセス技術から芸術作品などにまで拡大しました。
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1910年代
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1913年に米国連邦政府が国内初の所得税法を制定してからは、施設や設備、土地の正確な価値を記録する必要性がさらに増すこととなり、それに伴いアメリカン・アプレーザルの存在価値も高まりました。
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| 1920年代 |
1920年代には、この時代を特徴づける産業の成長が追い風となり、アメリカン・アプレーザルの現在のビジネスの柱となっている、商標などの無形資産の評価に着手しました。評価業務の専門性と顧客サービスへの献身は、アメリカン・アプレーザルを他社との際立った特色としてさらに発展を続けました。
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1930年代
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1934年、米国政府は租税目的として、資産家が自らの持つ資産の減損を計算し、実証する負担を義務付けた財務省決定通知4422号を公表しました。この法制定により、評価サービスへの需要が増加していきました。
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| 1940年代 |
戦時中であった1940年代も、アメリカン・アプレーザルは各企業や政府機関にサービスを提供し続け、目覚しい成長を遂げました。 また、第2次世界大戦の終了後には、米国陸軍と海軍より、欧州、アジア、太平洋地域における余剰物資の在庫調査/評価/処理業務のプロジェクトを受注しました。このプロジェクトによって、アメリカン・アプレーザルは世界最大の評価会社として、国際的な信用を確立することとなりました。 |
| 1950年代 |
成長と拡大が続いたこの時代においては、アメリカン・アプレーザルは、第2次世界大戦終結後、米国連邦政府によって余剰物資の処理業務のために設立されたグループであるオーバーシーズ・コンサルタンツの一員として活動を続けました。企業11社で構成された同グループにおいて、当社は唯一の資産評価会社でした。 |
| 1960年代 |
1960年代は、アメリカン・アプレーザルにとって飛躍的な成長の時代となりました。この10年間で、E.H.ベック・カンパニー及びスタンダード・リサーチ・コンサルタンツ社(スタンダード&プアーズ社の傘下)を買収し、ブラジル、カナダ、フランス、イタリア、フィリピン、メキシコ、シンガポールの各国に拠点を設置しました。
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| 1970年代 |
1970年代、アメリカン・アプレーザルは株式を公開、上場企業として他企業の買収や、広範囲なサービス能力の更なる拡大に注力しました。 また香港、マレーシア、タイに拠点を設置、アジアにおける事業展開に踏み出しました。
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| 1980年代 |
1983年、当社は評価以外の事業を売却し、コアビジネスである評価サービス業に専念するようになりました。 この頃、企業合併や買収、再編成が盛んに行われるようになったことで、評価サービスへの需要が飛躍的に高まり、会計監査会社が評価サービス業へと参入を始めるなど、評価サービス業は大きな転換を迎えました。
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| 1990年代 |
欧州各国に多数の支店が設立され、新しいビジネスチャンスを活かした事業を引き続き推進し、「安定と成長」の時代を迎えました。 この時期には、アメリカン・アプレーザルは上場を廃止し、社員持ち株制度を復活させました。
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| 2000年代 |
アメリカン・アプレーザルは、評価関連の課題について証券取引委員会と提携している「評価問題対策委員会(AITF)」、公正な評価方法の実施についての理解を深めることを目的に米国財務会計基準審議会(FASB)が結成した「査定評価リソースグループ」、米国鑑定業務統一基準(USPAP)の開発や解釈、改正などを手がける団体である鑑定基準委員会(ASB)などへの関与を通じて、鑑定評価業界でリーダーシップを発揮し続けています。そして、現在も評価サービス業のリーダーとして高い意識を持ち、顧客の皆様に対して優れたサービスを提供することに全力を尽くしています。
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